親友との出会い  11歳~

新しい家は祖母宅から徒歩20分程の所にある銭湯の2階で外階段を上がると4所帯のアパート一番手前の6帖1Kの部屋だった。共同玄関で靴を脱いだら部屋に持ち込む仕様で驚いた。3帖程の小さな台所には正方形の小さな冷蔵庫と一口コンロだけが目に入り風呂は無く下の銭湯が我が家の風呂だ。和式の水洗トイレはあった。奥に進むとコタツ・小さな本棚・畳の上に直に置かれた手回しチャンネルの小さなテレビと半間の押し入れと必要最低限だった。洗濯機は銭湯の物を共同で利用出来るよう貸し出してくれていた。今までの山近い静かな集合団地とは違い大きな幹線道路や高速道路エスカレーターのあるスーパーや小さな繁華街があり様々な喧噪に酔った。

少しの荷物をほどき片付け終えると女は私を連れて祖母宅へ向かった。金の無心だった。祖母は女が離婚し引っ越した事を知らなかったのか驚いた様子で私の顔を見てため息をついた 部屋には通されず玄関先での対応だった。「今まで自分勝手に生きて来てこうなってるんだからこれからは自分でしっかり考えて生活しなさい!いつまでも甘えるんじゃない!」と、話すと「娘が困ってるのに見捨てるのか?布団を買いたいからお金が必要だ!」と。祖母は部屋へ戻り布団一式を玄関先に放り出し文句を言い続ける女を無視し玄関の扉を閉めた。女が扉を何度もノックするが反応が無い。女は文句を言いながら敷き布団を背中に背負い私は黙って掛布団をなるべく小さく畳み持ち抱えた。まだ残暑の残る頃 帰り道を汗だくになりながら歩いた。帰宅早々に布団を下ろすと唐突に女が淡々と冷静に話し始めた。

男は本当の父親ではない。男の前に戸籍上の父親がいたが本当の父親ではない。本当の父親はゆきずりの人で戸籍に記載されていない。妹とは半分しか血の繋がりがない。赤子の頃祖父母に育てられていた今回の事は男の借金でこうなった。あんたなんか産まなきゃよかった。

そして最後に

私は何も悪くないこうなるはずじゃなかった。

と、女は一通り話すと家を出て行った。衝撃でしかなかった。目の前が真っ白になり呼吸を忘れる程だった。自分で持ち帰った掛布団を敷き横になった。これまでの短い人生を思い返しぼんやりとした記憶が少しづつ鮮明になった。自転車の籠から見上げる託児所へ送迎する祖母の背中。膝の上の私をあやしながら煙草を吹かす祖父の顔。男と女に激怒する祖父に驚きタオルケットに包まって祖母の膝枕にいた事。妹の誕生を待ちわびる幸せそうな男と女の顔。毎日公園で遊んでいた事。妹との対応の差。ぐちゃぐちゃになった感情に耐えられず涙が溢れ「この世から居なくなりたい!」という思いが巡り泣いた。夜中に女が帰ってきたが泣く私を余所に寝ていた。泣いたまま朝を迎えた私は起床した女のいつもと変わらない態度に気が付いた。

泣いていても何も変わらない。

女は何も無かったかのように転校先へ挨拶に行く準備を始めた。まだ制服の無い私は数少ない私服から良さそうな物を選び女に連れられるまま新しい小学校のクラスへ挨拶に行った。緊張しながら挨拶を終え廊下に出ると「ださっ!汚いっ!」と小声が聞こえた。初めて言われた言葉にショックを受け窓辺にある鏡を見ると美容室に行ったことのない髪は虎刈りでボサボサ 泣いたせいで目は浮腫み色が褪せヨレヨレになった時代遅れのTシャツと短パン姿そこから伸びる浅黒く細長い腕と足。振り返り教室の中の子ども達を見ると皆小綺麗に整えられていて女は私を見てため息をついていた。帰り道 生れて初めて美容室へ連れて行かれ髪を切った。顔は同じなのに見違えるほどの仕上がりに美容師カッコいい!こんな人になりたい!と思った。帰宅しアパート下の銭湯に入り念入りに爪の中まで丁寧に洗った。初登校の朝 新しい制服は無く以前の小学校の制服が出してあった。「祖母がお金を貸してくれなかったから購入出来なかった」と、言う女に何を言う事も無く着慣れた制服に袖を通し静かに家を出た。教室に入るまではドッキドキだったが学校に楽しい思い出しかない私は今まで通り明るく挨拶し嫌味を言われても笑いに変え誰とでも楽しく過ごした。

近所に公園が無く遊びに出かける事が無くなった。家へ帰っても女の姿は無く風呂に入れた日は洗濯するという日課が増えた。冷蔵庫の中にも戸棚の中にも食料らしいものは無かった。女が帰らない日が多く100円がコタツの上に置いてあった。風呂代が50円だったので残りを貯め目当ての商品が買える金額に達すると風呂上りに道路向かいの商店で買って食べた。

妹は月に一度一人でバスに乗って家を訪ね女との時間を過ごし夕方になると泣きながら一人バスに乗り込み女と私も泣きながら見送った。妹が来る度に妹を引き取って欲しいと訴えたがお金が無いからと濁された。

学校では8人兄弟で母子家庭だという友達とよく一緒に過ごすようになり親友になった。当時まだ珍しかった母子家庭同士 何でも話す中になり100円の無い日が続いた事を相談した日の週末 学校帰りに友達が家へ招いてくれた。玄関を開け部屋へ入ると小学校入学前の小さな子から中学生まで4人が各々の遊びに夢中だった。上から3人は父親が違っていてだいぶ前に成人し独立した生活をしているという。それでも兄弟仲が良く母親が仕事で留守の時間に小さい兄弟の面倒を見に来てくれると話してくれた。新しい生活がはじまってからというもの一人で静かに過ごす時間ばかりだった私にとってとても羨ましい環境だった。初めての訪問にもかかわらず友達の兄弟と時間を忘れて遊んだ。19時を過ぎた頃友達の母親が帰宅した。こんな時間まで家に居る余所の子を見ても嫌な顔一つせず元気よく挨拶する私に「元気があって良い!」と、笑顔を向けてくれた。時間に気付いた私がそそくさと帰宅の準備をして玄関へ向かうと台所の方から「晩御飯すぐ出来るからご飯食べて風呂入って~」と大きな声がした。5人の子どもの為に用意した食事に食いぶちが増えたら悪い気がして友達に礼を言い玄関を出ようとするとすかさず母親が玄関まで出て来て「友達から家の事情は聞いていて今日は一緒に連れて帰るように言ってあってその為に夕食の材料も買ってきたんだよ~♪」と、明るく話す母親にとても嬉しくて泣きそうな気持になったが泣いたら困らせると思い感謝を伝え甘えた。部屋に戻ると食卓にはあっという間に皆の分の親子丼が用意されていて小さな子ども達はスプーンを握りしめお預け状態だった。皆で手を合わせていただきますを言い大勢で食べる夕飯はとても美味しかった。食事中は子ども達が今日あった出来事を母親へ一斉に喋り始め母親はニコニコしながら話しを聞いていた。食事を終えると友達に風呂へ連行され後が待っているからと一緒に入った。食事のお礼と思い後に待っていた小さい兄弟へ一緒に入ろうと誘い面倒を見た。着替えの無い私に友達の制服のお下がりを用意してくれていた。後日返す事を伝えると「制服が無いと聞いて押し入れから引っ張り出してまた片付けるのも大変だから使って~♪」と、紙袋に入った数枚の制服と私服も持たせてくれた。21時を過ぎようとする頃友達家族にお礼を言い玄関から見送られ帰宅した。家は真っ暗で静かだった。さっきまでの楽しい時間に思いを寄せながら女以外の母親像を知らない私は母親らしさを友達の親から学んだ。この年の冬休み初めて祖母が訪ねてきた。大好きな祖母だったが女が金の無心に行った際私の顔を見てため息をつかれた事でどう接して良いか分からなかった。部屋を一通り見て質素な生活が伺い知れただろう。祖母が重い口を開いた。あなたのこれまでの短い人生色々あったけど何があっても「どうにかなる!死ぬ気になれば何でも出来る!辛い時こそ笑ってなさい!世界中には住む家も着る服も食べることも出来ない人間がいる!今まで女の為に良かれと思ってやってきたがこれ以上は甘やかす事になるから何もしてやれない。」と、数日分の食料と500円玉の入った少し早いお年玉を置いて帰った。祖母の言葉はとても重く感じたが置いて行った食料を見てこれまでと同じ愛を感じた。お陰で長い休みをどうにか乗り越えられた。

新学期が始まりクラスの友達から吹奏楽部に誘われ体験に行った。初めて見る金色のピカピカに磨かれた何種類もの楽器がいつもの音楽室と思えない程ピーンと張り詰めた空気の中 調和良く音を出し始め1つの音楽を奏でている様は言葉に出来ない程私の心を揺さぶった。体験後先生から入部届けを受け取ると月謝1,000円と書いてあった。帰宅しコタツの上に置き女への説明をどうしようか悩んだまま寝ていた。翌朝女は寝ていたがコタツの上に記入済みの入部届けと1,000円が置いてあった。女を起こし礼を言おうと思ったがそのまま家を出た。登校してすぐに担当の先生へ入部届けと部費を手渡しその日から練習に励んだ。部内には友達も先輩として入部しており私の入部を喜び練習工程や楽器の使い方等を丁寧に教えてくれた。先生はいつも笑顔で朗らかだったが練習のスイッチが入ると怖かった。女のように怒りに任せた恐怖では無く冷静に的確な指示を出し音が少しでもずれると音が合うまで何十回も同じ個所を演奏した。演奏が上手くいくと満面の笑みで私達を褒め称える先生の姿は私にとって大人の見本となった。

夏休みの宿題を配られる頃私は頭を抱えていた。いつもと様子の違う私に友達が声をかけてくれ部活帰り家へ招いてくれた。これまで何度もお世話になっていたが今回ばかりは足が重かった。親友の母親は休みで家に居た。今まで長期休みは瓶回収で食費を作っていたが今回はどうしたものか。とこれまでの事を話していると母親はどこかへ電話をかけた。電話を終えると笑顔で「近所の知り合いが新配達員を募集してるから話を聞きに行ってらっしゃ~い♪」と、見送られ親友と一緒に説明を受けた。夏休みの間だけ朝5時から70件を親友と半分づつ自転車の籠に35部の新聞がギリギリ収まる件数だった。給料は私の事情を知って週払いにしてくれる事で決まった。親友はお小遣いの為に私は食べて生きていく為に働く事になった。自転車を持っていなかった私は親友の兄弟に借りた。毎朝5時前に新聞を籠へ積み込み配達に走り出す。雨の日は自分が配る分の新聞を一つ一つ丁寧に専用のビニール袋に入れなるべく空気を抜き破らないよう口を結ぶという工程にだいぶ手間取ったが3度目からは慣れたものだった。初日先輩から配達ルートを教えてもらいながら配り翌日から親友は配達ルートの順番に私は配達ルートを逆順に回りどちらが先に終わるかという競争をして車の通りが少なく日が上がる前の涼しい時間にゲーム感覚で楽しく仕事をした。配達先は戸建てばかりで配り終えるのに1時間弱かかった。初めての給料は2千円と小銭数枚が入っていた。瓶回収ではお札に縁が無く多くても300円を上回る事は無かった。自分で稼いだお札を触った時は感無量だった。初めての給料で新聞屋の前にある自動販売機で缶ジュースを買って親友にお礼をとして渡した。一度女に朝早くから何をしているのか尋ねられたが部活の練習と伝えると納得した様子でそれ以上何も言われる事は無かった。この年の夏休みは早朝から働き部活練習を終え毎日ご飯とお風呂にありつけた。

小学校卒業の日 吹奏楽に誘ってくれた友達に呼び出され行ってみると4人の女子が待ち伏せており一斉に「今まで虐めてごめんなさい!」と謝罪された。突然の事に驚いたが私は毎日生きていく為に必死で全く気付いていなかった。私は素直に「虐められてるのに気付かなくてごめんなさい!」と笑って返した。

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