覚悟  17歳~

世間が忘年会で慌ただしくなる頃2週間を空けて電話があった。電話口で「母親が亡くなった。」と泣く男にかける言葉が見つからなかったが「余命よりも長く大切な息子と過ごせた事、大切な息子に最後まで看取ってもらえてお母さんは幸せな人だ。」と励ました。

年明け直ぐに転勤の話しが持ち上がった。地元からもっと遠く離れた土地だったが仕事への情熱が冷めない私は快諾した。転勤を男に伝えると会いたいと話した。転勤前に一度地元へ帰った私を迎えに来た男の顔には暗い影があったが久し振りの再会に少しずつ笑顔が垣間見れるようになり互いに同棲していた頃の気持ちが再燃し次にいつ会えるか分からない寂しさから体を重ねた。翌日男に見送られ転勤先へ向かった。

転勤先でも相変わらずの忙しさに日々追われていたがそれでも楽しかった。卒業や入学の話題で春めき常連のお客様を覚えだした頃 急なめまいと吐き気に襲われた。それでも仕事の手を止めない私を心配した先輩に病院に行くよう説得され最寄りの総合病院を受診した。一通りの検査を済ませ二日酔いとは違った症状に何か大きな病気じゃないかと心中穏やかでは無かったが医者からの言葉は予期せぬものだった。

妊娠5ヶ月位でしょう。」

ここから頭の中は真っ白で病院の支払いや店にどうやって戻ったか覚えがなく我に返った時には店長が赤ちゃんのエコー写真を手にして驚いた顔でこちらの様子を伺っていた。店長の計らいでそのまま休みになり男に電話を掛けた。

第一声は「本当に俺の子?」だった。

「1人で産んで育てるから今後関わらないで下さい。」と冷静に伝え電話を切った。1度堕胎を経験している私に堕胎の選択は無く私の命を懸けて育ててやる!と覚悟が決まりポケットの中の煙草を捨てた。側で心配そうにしていた店長にこれまで通り働かせて欲しい事を伝え子持ちの先輩からアドバイスをもらい出産までの段取りと産後の託児所探しをしていると男から電話があり「誰の子でも良いから俺と一緒になって産んで欲しい」と。気持ちは嬉しかったが私の出生を知っていてこの言葉を投げかける男へ「自分の子どもと確信出来ないなら温情は必要ない優しさだけで子育て出来ない事を身を持って経験してきたからこそ同じ思いを子どもにさせたくない。」と電話を切った。

同棲解消時 男との別れ方が酷かった私が男の事を責められないのは重々分かっていたが毎月の給料や国の制度をこれまでの経験として知っていた私には男の言葉にすがる理由が無かった。

翌日男から「覚悟が決まった!俺の子だ!嫁に来て欲しい。」と電話が入った。店長も先輩方も「一度は男無しで生きる決断が出来たんだから甲斐性無しで無理!と思ったら早めに見切りを付けて戻って来い!」と、優しい笑顔で結婚に向けて背中を押してくれた。

男へ2つの条件を出した。

1、本気は良いが浮気は許さない。浮気は女性に対して失礼!人生をかける程本気で愛したなら離婚を快諾する。

2、個人で秘密の借金は許さない。事業の借り入れ以外で私に黙って作った個人の借金はどんな理由でも離婚。

これを承諾してもらってからはあっという間だった。

退職し地元へ帰り女に報告を済ませ女と一緒に男の地元へ向かった。体1つで来ればいいと言われたので退職時の荷物だけを持って行った。男には元学校教師で年金生活の祖父母と妹がおり荷物1つで嫁に来た私を見て驚いた様子だったが会話が弾むと歓迎してくれた。女は祖父母に簡単な挨拶を済ませ結納金を受け取ると帰った。

家業の共同経営者だという50過ぎの男が祖父母との同居はお互い気を使って大変だろうからと畑の広がる重機置き場の隅に社宅として新築の平屋を建ててくれていた。新しい生活が始まる門出を祝って共同経営者と祖父母が婚姻届けの保証人の欄にに記入し私達が婚姻届けに記入する姿を見守られ夫婦となった。

免許も取れない私の為に男が休みを取って生活圏内の案内をし産院を探した。その地域に産院は1件しかなかった。看板が無ければ民家と見間違う程の小さな産院で男の産まれた場所だった。受診すると初老だが体格の良い豪快な先生で男に気が付くと「産まれた時から顔が変わらないからすぐに分かった!お前が結婚か!しっかり働けよ!」と笑顔を見せ大きな手で男の背中をバンバン叩いた。診察は丁寧なもので看護師と阿吽の呼吸で順調に検査が進んだ。元々生理不順で最後の生理の記憶が無い事を伝えると赤ちゃんの大きさで考えると20週~22週位だという先生の話しを一緒に聞いていた男は経緯を思い出し自分の子だと自覚した様子で目を見開き頷きながら私に目線を送った。

出産までの間、初産で何かあったら困るからとやることが無くなった私は男を仕事に見送ると家事をさっさと済ませ、たまに散歩に出る程度の生活で暇を持て余した。男の運転が無いと買い物も出来ない環境でストレスだったのか妊娠症状だったのか定かでは無いが1キロのかりんとうと牛乳1リットルの飲食が毎日の日課になり数か月前まで48キロだった体は出産前78キロまで大きくなった。出産時に苦労すると先生から何度も言われたが食欲が止まらないまま誕生日を迎え18歳になった。

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