3日分の着替えだけを入れた小さな鞄を持って会社へ行き仕事終わりに夜行バスに乗った。不安など微塵も無く新しい環境への期待に胸が一杯で眠りは浅かった。早朝 街の中心部にある会社の目の前にバスが停車し降りると男性に声を掛けられ案内された。会社から歩いて10分程の繁華街入口の古いビル402号室が寮だった。男性は寮に住む先輩に引き継ぎを済ませると帰って行った。
3DKの間取りで玄関入ってすぐ左の4帖半の部屋には押し入れ1間・ベッド・テーブル・お洒落な箪笥が備え付けてあり台所・冷蔵庫・風呂・トイレ・洗濯機等の共同利用はこれまでの生活で慣れていたので何の問題も無かったが寮を案内をしてくれ仕組みを丁寧に教えてくれた品のある優しく綺麗な先輩と同じ空間を使うので少し緊張した。申し分ない贅沢な環境が私の新しい生活拠点になった。心を惑わす物の無い環境の中 好きで始めた仕事が生き甲斐になった。朝の8時から開店準備お客様が入りだすと閉店まで客足が止まる事は無く練習時間も合わせると14時間無我夢中で働いた。給料も今までに見たことも無い程上がり毎朝会社に行く事が楽しく練習にも身が入った。
先輩方は美容師見習いがとれだけ大変か身を持って経験し何度も辞職を考え何人もの同僚が辞めて行く姿を見送るという過去があり、ましてや15歳で地元を離れ知らない土地への転勤という状況を大変心配してくれたが根明な性格と1日中元気に働く姿を見て安心してくれたまにお客様が多く多忙を極め閉店後へとへとになって片付けをしていると夕食をご馳走してくれたり休みの合う時は観光案内してくれる事もあった。
化粧に興味が無く抜きすぎて細くなった眉毛を書くだけ。仕事着に規定があったので鞄に詰めた着替え以外の衣服は無い。私は不自由を感じなかったが同室の先輩から質素にも程がある!とセンスの良い組曲のロングスカートのお下がりを貰った時は姉が出来たようで嬉しかった。本当に皆優しい先輩ばかりだった。お店が忙しく昼食を買いに行く暇も無かったので配達弁当。顔の良い男に薦められ吸い出した煙草。練習後寮で就寝する先輩を起こすのは悪いと思い毎晩の外食。この際今までに食べてみたかった物を食べたいだけ食べようと散策した。日々の忙しさのお陰でカロリーはプラスマイナス0だった。月末に困らないよう気を使ったが貯金は出来なかった。それでも心は満たされていた。
16歳の誕生日仕事からの帰路に40代位の着物を綺麗に着こなした易者に目が止まり1回1,000円と書かれた札を見て鑑定してもらうことにした。名前を書き手相を見られ出た結果は「16歳19歳24歳で私の人生に大きな影響を与える人に出逢い38歳で命に係わる事が起こる。」と…。命に係わるという言葉に戸惑った私は支払いを済ませて通りに居る他の易者を2か所はしごしたがどこも同じような回答だった。
命の期限を意識した。
帰路にある風俗街で呼び込みをする袖から刺青が見える30代の男と仲良くなり世間話しをする間柄になった。男の見てくれは堅気の人間では無かったが落ち着きがあり体格の良い貫禄ある風貌にひるむことなく私が気安く話す事に驚かれたが数ヶ月経つ頃に付き合いを申し込まれた。休みの日待ち合わせ場所に綺麗なセダン車で登場したが男には目もくれず綺麗な車に釘付けだった。綺麗な物はどれだけ見ていても飽きなかった。男の見た目とは逆に紳士的で初々しい姿に好意を持ち長年連れ添った恋人のように楽しく観光をし食事を済ませホテルへ入った。私が風呂から出ると男はソファーにドカッと座り刺青が綺麗な腕から注射器を抜いていた。快楽の表情を浮かべる男は私を見て手招きしたがその姿に呆れ果てバスローブのまま荷物を持って部屋を後にした。いつものように寝る為だけの寮へ帰宅し寝ていると珍しく夜中に目が覚めた。
何かの気配を感じ目をやるとベッドの横に亡くなった祖父が正座して私の顔を覗き込み「墓参りに来ないのか?」と、ニコリとした表情で一言つぶやき消えた。不思議と怖いという感情は無く久し振りに見た祖父に日常を見られている気がして恥ずかしくなり翌日から仕事に集中した。
世の中が忘年会で賑わいだした頃、店に妹から電話が入った。女と暮らす為引っ越した事。中学を転校した事。冬休みに入ったが友達との予定も無く暇な事。家に居ても女は帰宅せずほぼ食料も無い事。話したい事は山ほどあったがすぐ掛け直すと伝え電話を切り店に事情を説明し高速バスのチケットを買いに走り店の住所といくらかの現金を添えて送った。妹に電話をしチケットが届いたらこちらに来るよう話した。3日後妹が店を訪ねて来た。店長は私の話しに大変驚き妹を寮で待たせるようにと送り出してくれた。同室の先輩は私の部屋にテレビが無いからと自室のテレビを貸してくれた。妹に1,000円を握らせ直ぐに店に戻った。就業後の練習を休み寮に走って帰った。妹は初めての一人旅に疲れていたのかテーブルの上には菓子パンの空袋が1つとお釣りが置いてありテレビを付けたまま電気も点けずに寝ていた。先輩にテレビを返そうと部屋の明かりを点けると妹がごそごそと起きだした。その夜は5年間の溝を埋めるように夜明けまで話した。
私と女が出て行ってから徐々に男の顔を見ない日が多くなり学校から帰るとテーブルの上に毎日500円か、お弁当が置かれていて毎日一人だったという事。男は家事を放棄したので友達のお母さんから家事全般を習った事。初潮の時は誰にも相談できず友達のお母さんが服の汚れに気付いてくれ指導してもらい道具一式をプレゼントしてもらった事。男は女を作り女の家と2重生活をしていた事。時間を問わず借金返済の電話が鳴り毎日のように取り立ての男達が玄関を激しく叩き怒鳴り声で喚き散らし家から出れない日があった事。裁判所の人達が家財道具に赤い紙を貼っていき家を出て行くよう言われた事。
離婚した当時8歳。小さい頃から引っ込み思案な性格の妹にとってこの5年間は想像を絶する耐え難い環境だった。互いに友達とその家族に救われた。
年末は特に忙しく正月まで休みが無く観光は出来なかったが食事に連れ出し妹が寝付くまで毎晩色々な話しをし一緒に過ごす時間を楽しんだ。正月明けに学校が始まるからと女の家へ妹と2人帰省した。女は相変わらずほとんど家に居る様子が無く家に居ても頭が痛いと寝ていた。正月らしい事は出来なかったが墓参りを済ませ妹に少しばかりのお小遣いを渡し何かあったら電話をするよう伝え会社への夜行バスに乗った。
年始も相変わらず忙しく楽しい毎日が始まると1日が早く感じた。まだ雪のちらつく頃 会社に私宛の電話があった。同棲していた男からだった。男は学校を卒業し地元へ戻り家業を継ぐため見習いとして働きだし私がどうしているかと女の家に電話をすると妹が会社の電話番号を教えてくれたという。それから毎晩練習が終わる頃電話が鳴るようになった。私は男との別れ方に罪悪感があり謝罪したが男は気にしない様子で互いに見習いという立場になり近況を話し励まし合った。
年度末を過ぎ落ち着いた頃突然男が会社に訪ねて来た。車で何時間とかかる距離を日帰りだという男に呆気にとられ笑ったが、わざわざ会いに来てくれた気持ちが素直に嬉しかった。観光する暇も無いので一緒に夕食を食べ他愛も無い話しで笑い合った。
男が帰路に着く際に復縁を申し込まれ快諾した。雨の多い季節に入る頃から男の電話での様子が変わった。男は声を詰まらせながら母親が末期の胃がんで余命3ヶ月だという事。まだ50代半ばこれまで男の多い職種の中女手一つで男に負けず働いていた事。等を、ぽつりぽつりと話した。他に兄弟も居たが男は幼少期から後継ぎとして期待され母親の後ろ姿を見て育ちこれから親孝行の為にも家業を盛り立てようと日々鼓舞する男にとって経営者という羅針盤と母親を失くすというこの上ない絶望だった。母親の入院する病院から毎晩電話をかけてくる男の声は日に日に気弱くなった。そんな男に祖父の最後は自宅で1人亡くなった事を打ち明け大切な人の最後を看病出来る幸せ、母親も大切な息子に看病してもらえる幸せを毎晩伝えた。