貧困の中の知恵 5歳~

まだバブル経済の世の中だったが我が家は違った。男はどれだけ仕事を頑張っても借金が減らない事に苛立ちを感じパチンコに行く頻度が増え日に日に男と女の口論する姿が多くなった。口論が始まると妹を子供部屋のベットへ連れて行き2人で布団を頭まで被り避難する毎日。

小学校入学を前に幼稚園で名前を書く訓練が始まった。頭と要領の悪い私は鏡文字を多く書いてしまい自宅での練習を余儀なくされた。幼稚園から帰宅し食事も与えられないまま女はこんな事も出来ないのか!と、金切り声を上げ書く姿勢から始まった。背中を叩く際に使用していた細い竹をどこに隠し持っていたのか持ち出しそれを襟首から突っ込むと背中と肌着の間を通しズボンの腰ゴムまで入れ固定した。姿勢が悪くなると背中の古傷に竹が当たり痛みを利用した矯正用具だった。空腹と痛みで頭が朦朧としながら何時間も金切り声に怯え泣きながら過ごした。男が帰宅する車のエンジン音がすると訓練終了の合図だった。背中の痛みに耐える日が入学ギリギリまで続いた。

小学校へ入学時ピカピカのランドセルをプレゼントしてくれた祖母。女は着飾り化粧をし入学式の全体写真に写ったが男は来なかった。小学校には初めて見る子どもが多くまだまだ山奥まで団地や住宅の建設が進んでおり毎年学年ごとのクラスが増え転校生も珍しくはなかった。当時「カトちゃんケンちゃんご機嫌テレビ」が流行っていた。友達の輪を広げようとクラスの気の合う仲間と休み時間になる度にテレビの真似をして周りを笑わせた。些細な事で怒られる事も無く自由に発言出来る環境が楽しくて仕方なく私を指差してゲラゲラ笑う友達の笑顔を見る事が最高に楽しく感じた。美味しい給食は毎日お替りじゃんけんに参加した。友達と給食と笑いのお陰で今までに無い豊かな気持ちになった。

夏休み等の長い休みは大変だった。給食が無い分をどうにか自分で賄わないといけなくなった。毎日ラジオ体操を終えて近所の友達と学校プールの無料開放に行き昼前に帰宅し昼食時は水を飲んでしのいだ。たまに仕事帰りの祖母が女に内緒で差し入れをしてくれた。3年生の夏休みある雨が続いた日 友達の家で遊ばせてもらっていた。友達の家は大家族で兄弟6人と両親で暮らしていた。廃品回収を仕事にしていた友達の兄が 瓶ビールが5円 一升瓶が10円で徒歩10分の所にある酒屋が引き取ってくれるという話しをしてくれた。その日からラジオ体操を終えた足で友達と1棟(30件)の瓶回収をして酒屋で換金してもらい学校プールの無料開放で遊びつつ汗を流しプール帰りにもう1棟(30件)の瓶回収をして酒屋で換金。換金したお金で酒屋近くの小さな商店で昼をとうに過ぎて割引された食料を探し算数の苦手だった私は指折り計算し迷いながらあれでもないこれでもないとやっとの思いで購入し友達と2人公園で食べた。見渡す限り団地が続く地域ならではの環境と持ち前のお調子者を存分に発揮し始めて会う大人達に臆する事無く瓶回収をする事で食事にありつけた。団地には老若男女問わず暮らしていたが文句を言う人は誰も居なかった。足の悪いお年寄りは「助かるよ!」と、ちり紙に包んだお菓子等を持たせてくれる事もあった。そんな日は回収作業も一段とスムーズに進んだ。瓶の多い日は何度も往復した。それでも楽しかった。台風・お盆・正月以外は働いた。仕事帰りの祖母が女に内緒で差し入れをしてくれた時は食料を友達と分け合い貧しいながらも充実した日々だった。

瓶回収で疲れ切った日、風呂に入る度体に傷が無いかチェックされる事を面倒に思った私は「風呂に入りたくない」と男に告げると台所に居た女を呼び付けどうにかしろと話した。女は「一人で入らせれば良い。」男は「面倒事は1回で済ませたい。」これがきっかけで口論が始まってしまったがいつもの事だと思っていた。男は「女がやらかした事の尻拭いをしているのに!」女は「傷着けてないし1日くらい風呂に入らなくても死なない!」どちらも折れなかった。あまりの口論の激しさに私は怯え湯船に浸かっていた妹を引き上げバスタオルに包んで子供部屋へ連れて行き布団の中に避難させた。私は自分の言った事で大変な事になった…と、居間から様子を伺いどうにか出来ないものかと男の後を追った。女は言葉で勝てないと思ったのか台所にあった包丁を手にし男へ詰め寄った。男は大きな声で女に包丁を手放すよう詰め寄ったが女は後退りしとうとう玄関を開けて階段の踊り場に出た。男もさすがに外で包丁沙汰と体裁が悪くなったのだろう包丁を下ろすよう小声で諭すが気が立った女は全く聞く耳を持たない。女は包丁を腰に持ち構えて男に向かった。男が女を突き飛ばすと女は5段程の階段ををゴロゴロと落ちて行った。玄関から出た後はあっという間に感じた。男は女を心配して駆け寄り包丁を拾い私に台所へ直すよう手渡し気を失った女を肩に担ぎ部屋に連れ帰った。女が目覚めるまで私の心は穏やかではなかった。「心配しないで寝なさい」という男の声も元気が無くそんな男と女の姿を見て「ごめんなさい」と言うのが精一杯でそのまま一人ベットの中で先程の光景を思い出し泣き疲れて寝ていた。

翌朝いつものように男の出勤準備を手伝う女がいた2人とも私に素っ気ない態度で挨拶しても返してくれずこの頃から私は居ないものとなった。翌年妹は小学校に入学した。入学式の全体写真には男と女の姿があった。家では盛大に妹の入学祝いをしたが私は帰宅早々就寝を命じられた。大雨で雷が酷かったある夜中 近くで落雷があり大きな音で目を覚ました。怖くなり女と男の寝る布団に駆け寄ると居ない。直ぐに妹が泣いてやしないかとベッドを見るが居ない。落雷の怖さとこの世に1人になってしまったのではないかという恐怖で暗い部屋に稲光が差す状況に居ても立ってもいられず自分のベッドに潜り込みひたすら落雷が過ぎるのを泣いて待ち泣き疲れて寝ていた。翌朝もいつものように男の出勤準備を手伝う女がいた。起きて早々昨晩1人で怖かったと訴えても2人の顔がこちらを向く事は無かった。

小学4年の夏休み女は私と妹を連れて突然家出した。クーラーで冷やされたバスに乗り込み陽炎の見える繁華街で降りた。汗びっしょりになりながら町中の消費者金融会社を歩き回った。女が店内に入る度に涼しい風が吹き抜け汗が冷やされたが私と妹は店内に入れてもらえず入口の外で女が出て来るのを待った。その日の晩は雑居ビルのエレベーターホールに女がどこからか持って来た段ボールを敷いて食事も風呂も無いまま寝る事になった。ビル内に勤めるであろうスーツをビシッと着た男がエレベーターを待つ間こちらをジロジロと見ながら去って行くが蒸し暑く汗でベタベタの体に空腹で喋る元気も無く度々エレベーターを乗り降りする人の気配に眠りは浅かった。翌朝 女はビルを出て直ぐの電話ボックスの中に入り何度も10円を入れダイヤルを回していた。妹と2人これからどうなるのか心配で静かに待った。1時間程待っただろう顎から汗を落としながら電話ボックスから出てきた女は「今から飛行機に乗って大阪に行くよ!」と、上機嫌で話した。空港まで1時間クーラーの効いた直行バスでの移動中ぐっすりと眠った。眠気と戦っていた私には飛行機に乗った記憶が無かった。眠気が覚め気付いた時には山間部で田んぼや畑を見下ろす坂道を登っていた。空腹と暑さでフラフラしながらも妹の手を引く女の後を一生懸命追った。坂を登りきり少し下った所に大きな庭と畑のある立派な一軒家があった。そこは祖父方の遠縁の家だった。女が家の呼び鈴を鳴らすと叔母さんが出て来て歓迎ムードで居間へ通された。居間には叔父さんが待っており祖父の葬式から久々に会う私と妹の成長を喜び籠一杯のお菓子とキンキンに冷えた麦茶を出してくれた。私と妹は目の前のお菓子をあっという間に食べ尽くした。その様子にびっくりした叔父さんは今回の訪問の本当の理由を女に訪ねた。最初のうちは久し振りに会いたかったから。等と言っていたが追加で出された籠一杯のお菓子を貪るように食べる私と妹を見て泣き出しぽつりぽつりと話した。。黙って家を出てきた事。借金返済が追い付かない事。男との関係が悪くなっている事。仕事と育児で大変な事。消費者金融でお金を借りてここまで来た事。叔父さんは一週間ここで羽を伸ばしてゆっくりしてから帰る事を勧め祖母に連絡をした。祖母は迎えに行くと言っていた様子で叔父が長い時間をかけて説得していた。その日から炊き立てのご飯とテーブル一杯に並ぶ何種類ものおかずを毎食お腹一杯食べ元気を取り戻した。高校生になるお姉さんが私と妹の面倒を見てくれた。毎日家の前の広い庭で遊び畑仕事を手伝い楽しく過ごした。帰る日女は「ここが実家なら良かったのに…。」と、言っていたが叔父の車で空港まで送ってもらい飛行機に乗った。地元の空港を出ると少し痩せた男が車で迎えに来ていた。沈黙のまま車に乗り込み祖母の家へ向かった。祖母は女を見るなり「心配かけて!」と女の頬を叩き男はなだめた。この時女は離婚を視野に入れた話し合いをしていたが男は関係修復の方向で暮らしていく事を望み祖母は男の望みを応援し子どもの為にと旅費の借金を祖母が払う事で幕を閉じた。

どれだけ働いてもお金に余裕の無い生活は女にとって窮屈だった。小学5年の秋 学校から帰宅すると女が居間で待ち構えていた。唐突に「離婚して引っ越すから荷物をまとめなさい。」と。急な事に動揺したが従うほかなかった。早々に片付きある事に気が付いた 女は妹の荷物に手を付けていなかった。夜になり男が帰宅すると居間に皆が呼ばれた。久し振りの団欒なはずもなく男は私の方を向き「お前とは暮らせない」と。女よりも男を信頼していた私はその言葉に酷く落ち込み「ちゃんと言うこと聞くから!離婚するなら父ちゃんと妹と一緒に暮らす!離れたくない!」と泣いて訴えても男は「そう言う事じゃないんだ…。」と、妹を膝の上に座らせ後ろから抱きかかえるように妹の背中で泣いていた。泣いて訴える私と背中で泣く男の泣き声で状況が理解出来たのか妹も泣いていた。

突然の転校に友達も驚いていたが笑顔で送り出して欲しい!という私に笑顔で答えてくれた。廊下に出る時に歌で見送られ振り返り友達との別れが寂しくて我慢できず涙を流す私の顔を見て友達も泣いた。

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