山を切り開いて出来た郊外の集合団地で新居は4階の3DKだった。とても清々しく風のよく通る景色の良いの部屋で住宅の前には見た事のない真新しい遊具が沢山ある公園もあり全てがキラキラして見えた。家具を新調し妹と一緒に使う子供部屋にはベッドと机が2組並べられ居間にはリモコンで操作する大きなテレビ。まだまだ小さい妹とはしゃいだ。祖母も引っ越しを手伝い新しい門出を喜んだ。
男の休みになると女は朝から上機嫌で鼻歌まじりにお弁当を作っていた。格安で譲ってもらったという床に10円玉程の穴が開き地面が見える青い軽の箱バンで大きな公園や釣りなどによく出掛けた。
祖母に会う度空腹だと言う私の為に月1回食材を届けてくれるようになった。初めて見たケンタッキーの箱から溢れ出るジューシーな匂いに一刻も早く箱の中が見たくて台所から離れず女を急かすとベランダに締め出され食べる事が出来なかった。学習能力の無い私は毎月初めて見るお菓子やお惣菜を見てははしゃぎベランダに締め出され食べられないという悪循環を繰り返していた。
私は幼稚園に通うことになった。子どもの足で歩いて15分程の出来たばかりのピカピカな幼稚園。公園生活で色々な人と触れ合っていた事で誰とでも打ち解け初めて出来た友達との遊び 優しい先生 大勢で食べる給食。幼稚園生活は楽しくて仕方なかった。女は料理が苦手だったので初めて食べる物が多く衝撃を覚えた。幼稚園から帰宅すると鼻歌交じりで台所に立つ女。私が幼稚園に通うようになってから女の機嫌が良い日が多かった。が、一度かんしゃくを起こすと収まらないのを知っていたので帰宅後は直ぐに着替えもせず毎日公園で遊び近所の友達も出来た。公園には屋根付きの休憩所もあり雨でも快適だった。
夕食をお腹いっぱい食べた記憶が無い。男の帰宅前にチキンラーメン半分とかキャベツ炒めの醤油かけのみ等。まあ食べれただけ良かったが男が帰宅するとテーブルの上にはごはん・味噌汁・数品のおかず・ビール。それを夫婦2人で食べている姿をテレビを見ながら横目で見ていた。空腹の私がたまらずおかずに手を出そうとすると「さっき食べたでしょ!」と女の怒号が飛び手を叩かれる。男が休みの日は同じ食事が食べられたが、日頃の空腹を満たすには足りなかった。
私の誕生日に祖母がケーキを持って来た。連絡も無く急に玄関先に現れた祖母の姿に喜んだ。祖父の介護の為すぐに帰ったがそれでも祖母に会えてとても嬉しかった。薄いピンクのバタークリームがたっぷりで砂糖で出来たウサギの飾り「たんじょうびおめでとう5さい」と書かれたチョコレートの板。初めて見る自分専用のケーキにはしゃぎ過ぎた私はやっぱりベランダに出された。男が帰宅してやっと部屋に入れてもらえたが女と妹が先に食べたであろう食べかけのケーキが夕食となった。
誕生日の数日後祖父が亡くなった。
珍しく昼前に祖母から電話があり祖父の様子を見に行って欲しいという。朝から調子が悪かった祖父を心配して自宅に電話をしたが出ないという。電車とバスを乗り継いで1時間。女に手を引かれて訳も分からずバスに乗った。初めてのバスに興奮してキャッキャと浮かれていたがしばらくすると「じいちゃん死んだの?」と突拍子の無い質問をする私に怒り心頭な女。外出して人が居る所で怒れない女は無視を決め込んだ。バスを降り電車に乗り換えた頃には「じいちゃん死んだね」と言う私に呆れながらも「じいちゃんの様子を見に行くだけだから死んでないよ」と相手をするも「じいちゃん死んだよ」と繰り返す私。電車を降り祖母宅までなるべく早く歩いた。女が玄関の鍵を開けている間 玄関前の猫の額ほどの小さな庭に祖父が笑顔で浮いていて私にバイバイと手を振っていたので「じいちゃんバイバーイ」と空へ登って行く祖父に手を振った。祖父を見送り部屋へ入ると祖父の傍らで女が泣いていた。祖父の手を掴むとまだほんのり温かく眠ったように死んでいた。急遽祖母も帰宅した。病院嫌いだった祖父で59歳と突然の死だった為警察の実況検分と司法解剖がされたが死因は老衰だった。初めて会う県外に嫁いだ女の姉家族や親族が続々と斎場に集まり祖父の突然の死と女の現状に驚いていたが祖母が全てを説明し葬儀も一人で気丈に取り仕切り出棺前私と祖母だけの時間があった祭壇前で棺桶の中の冷たくなった祖父に嗚咽を漏らしながら泣いて縋る祖母を見て私も泣いた。祖母が泣いた姿はこれが最初で最後だった。
祖父の死去後、女は宗教に熱心になった。毎週我が家に大人の男女数人が集まり私も幼稚園を休んで強制参加。正座を崩したり居眠りしたり遊びに行きたい等と愚図るとトイレに連れて行かれ細長い竹の棒で治りかけの傷の上から何百回いや何千回 背中から尻の範囲を思いっきり叩かれ泣こうが喚こうが誰一人止める者は無く一度始まると女の気が済むまで終わらなかった。宗教的に子どもが言うことを聞かない時は進んで体罰を推奨していた。祖父を亡くした祖母は働きながらも2週間に1回来るようになった。男は祖母が家まで来るのは大変だからと祖母の家に毎月私達を連れて行くようになった。男は早くに両親を亡くしており、たった1人の身内である兄も家庭を持っていた。祖父の死をきっかけに唯一残った親を大事にしたかったのだろう。ある日祖母宅から帰宅しようと準備をしている時 私は竹の棒で叩かれる恐怖からどうしても家に帰りたくないと盛大にかんしゃくを起こした。女に怒られても抵抗する私に大人達は諦め久しぶりに祖母宅で泊まれる事になった。男と女は私を置いて妹と3人で帰宅した。祖母は夕方になるといつものように私を連れて銭湯へ。赤子の頃面倒を見てもらっていた銭湯の主であるおじいちゃんとおばあちゃんは我が孫のように久し振りの再開を喜んでくれた。祖母の姿を真似しながら番台や籠の片付けや閉店前の風呂掃除などをして楽しく仕事を終え風呂に入ろうと服を脱ぐと「ひゃっ!」「きゃっ!」などと周りにいた帰宅前の客や店主や祖母の声と私を見て引きつった顔。何か分からずそのまま風呂に入ろうとする私を祖母は引き止め抱きしめた。周りの大人のすすり泣く声と突然の祖母の行動にぽかーんとしていると鬼の形相の祖母が「背中の傷はどうしたの?」と静かに聞いてきた。自分の背中が見れない私には傷の状態など知る由も無かった。青黒いものや最近出来た赤黒いものまで60センチ程のミミズ腫れが背中を縦横無尽に走っていて背中を擦られる度に痛みが走った。周囲で泣く大人達を見てほっとしたのかこれまでにあった事を泣きながら打ち明けた。夜遅くだったが即刻その場に男と女を呼び出し男に現状を見せると驚いていた。男は近所の入から子供の泣き声が異常でうるさい!と注意を受けていたがまだまだ小さい妹が駄々をこねて泣いているとばかり思っていた。家に宗教関係者が出入りしていた事も寝耳に水だった。女に宗教を辞めるよう説得しても抗論となったが周囲の大人に責められ女は納得いかないようだったがその場を収めるため宗教脱退を承諾した。
祖母は私をしばらく預かることにした。宗教へのお布施が増えた事で家計は火の車だった。専業主婦で暇があるから厄介なものに引っかかるんだと思った男は兄の勤め先に口利きしてもらい女を働きに出した。妹を保育園へ預け 男が定期的に私の体に傷が出来てないか確認する事を条件に私も帰宅し幼稚園へ通った。この頃から鍵っ子になった。幼稚園から帰宅すると誰も居ない静かな家に安堵し女と妹が帰宅するまで毎日公園で遊んだ。女は仕事が楽しい様で子どもにも男にもうるさくなくなった。
男は借金返済と女の奇行へのストレスを解消する為パチンコを始めた。初めの頃は調子が良かったのか帰宅すると小箱のキャラメル等を手土産でもらい女も男の帰宅を笑顔で迎えた。そんな表面上の平和な生活が1年程経った。
男は女の日記に目が止まった「〇〇〇が好きで好きでしかたがない。愛してる。」と。何ページにも渡って1面びっしりと書かれていた。男は女を問い詰めたがこれまでの生活に嫌気がした。〇〇〇は優しく頼りがいがある。一方的に好意を持ってるだけで体の関係は無いし別れてどうこうする気は無い。女の言い訳に男は激怒したがこの事実を祖母と兄に相談すると社内で噂になる前に辞職するよう兄から懇願された女は嫌々了承した。他で新しい仕事を見つけ今までのように生活する女を見て安心した男だったが着々と破綻への道を歩んでいた。