誕生日を迎えた翌月予定日に入りそろそろ陣痛が来るかもと言われて1週間経過しても変化はなく翌週までに陣痛が来なかったら促進剤を使って出産する事が決まった。帝王切開が出来る産院まで片道3時間以上かかる環境と太り過ぎと初産で産道が狭い事を考慮しての決断だった。男は女に事情を伝えると前日に訪ねて来た。1か月仕事を休んだと話す女に驚いたが男は歓迎し翌日3人で開院前の静かな産院へ向かった。
この時から親になる為の出産という修行が始まった。産道を広げるための物を膣内に挿入し陣痛促進剤の点滴を済ませお腹の赤ちゃんの心音を聞くベルトをお腹に装着した。促進剤を点滴され微弱陣痛が始まり食事や会話が出来る生理痛程の痛みで夕方になっても子宮口は3センチ程しか開かずそのままぐっすり眠り夜明けを迎えた。促進剤の量を増やすとお腹の上に重りを乗せられたような激しい痛みに腰と骨盤が砕けるのではないかと思える程だった。痛みが間隔を空けて数10分おきに来るようになった。呼吸を忘れる程の痛みに会話はおろか食事をする余裕など無かった。肌寒い季節だったが汗びっしょりになりながら壮絶な痛みに ただただ歯を食いしばり陣痛の波が引いても深呼吸出来ずマラソンの後のような浅い呼吸がやっとだった。これだけの痛みに耐えても子宮口は6センチしか開かなかった。陣痛の間隔が狭まるにつれ眠る事はおろか水分補給もままならず何度も気を失いそうになりながらも どうにか朝を迎えられたがそれと同時に徐々にお腹の赤ちゃんの心音が弱くなった。廊下を挟んですぐ隣の分娩室では腰の曲がった高齢の小さな産婆さんと先生・看護師が出産の準備をしていたが目の前にある分娩室のドアがはるか遠くに感じ分娩台に上がるまでも大変だったがここからが修行の本番だった。産婆さんが子宮口を何度も手で開くも開かずジャキ!という鈍い音と共に子宮口を切開されたがそれでも赤ちゃんの出て来る気配は無かった。分娩台に上がって3時間。精神と体は限界でひと思いに殺してくれと思った。もうろうとする意識を現実に引き戻す陣痛の強烈な痛みに声を上げてもがく私に
「母親の痛み以上にお腹の赤ちゃんも頑張ってるんだから!このくらいで泣き言を言わないの!!」
と、百戦錬磨を経験してきた産婆さんの言葉は私の闘志を奮起させ再度奥歯をしっかりと噛み締めた。産婆さんは分娩室に女を迎え入れお腹の上に乗るように話した。女が陣痛と同時にお腹の上で全体重を込め馬乗りになりそれに合わせて吸引の機械を子宮口から入れ赤ちゃんを吸い出す。繰り返す事3回。頭が出た!という産婆さんの声に女がお腹から降ろされた。激痛からの解放と産まれたという安心感で涙が溢れ止まらなかった。
全身の力を抜き赤ちゃんの肩から足まで出た感覚があったが産声が聞こえない。女が分娩室から出され周りがバタバタと騒がしくなりズズズ!と何かを吸う音とパチン!パチン!と何度も何かを叩く音が遠くで聞こえると赤ちゃんの大きな泣き声が響き渡った。
我が子の元気な泣き声に安堵しまた涙が出た。お腹の中から胎盤を取り出し子宮口の縫合が終わった頃にやっと赤ちゃんと対面出来た。3,150グラムで頭の少し尖がった可愛い女の子だった。
赤ちゃんを胸に涙する私に産婆さんが事の経緯を丁寧に説明してくれた。へその緒が首に巻き付いて赤ちゃんが出たくても出られず無理矢理押し出した事。頭が出ても気道が締められ呼吸が出来ず気道に詰まった羊水を吸い出しても詰まりが解消されなかった事。気道の詰まりを取る為赤ちゃんの頭を下にして背中を叩いてやっと気道が通り産声をあげてくれた事。この産院で男が産まれた時と同じ顔をしているから迷子になっても近所の人が名前を聞く前に顔を見ただけで家まで送ってくれる!と、産婆さんと先生が笑いながら話してくれた。壮絶な出産で体と精神は憔悴していたが小さな体で私以上に大変な思いをして産声をあげてくれた我が子を抱き寄せて改めて私の元へ産まれて来てくれた事を心から感謝した。入院生活を終え帰宅すると37歳でおばあちゃんになった女が甲斐甲斐しく孫の面倒を見てくれた。その様子を見ながら私の出生に思いを巡らし素直に感謝した。
初めての育児は教科書通りにはいかなかった。胸は張るものの母乳が出ず男の祖母が餅・赤飯・鯉等を食べると出やすくなると教えてもらい毎日の胸のマッサージと一緒に最善を尽くしたが何をどうしても母乳は出なかった。一日に何度も娘が泣く度にオムツ確認や交換をしミルクを作り飲み終えるのを待ってゲップをさせるという時間が最初の頃こそ幸せを感じたが、これが毎日何度も繰り返していると産後体力が戻っておらず睡眠不足の状態では大変だと感じた。
それでもこれからの生活は車が無いと困るからと、10日で免許を取り同時に女は帰った。男も慣れないながら育児を覚えお風呂担当となった。娘は何の障害も無く元気に育ったが男の性欲が大変だった。SEXを催促されても陰部の縫合の痛みと夜泣きの寝不足でとてもそんな気にはなれなかったので事情を丁寧に説明してもローション等を使わなくても月に1回は日々のストレスで濡れるはずの無い陰部で痛みに歯を食いしばり我慢して泣く泣く受け入れるしかなかった。
全ての愛情を娘に注ぐ私との生活に男はパチンコへ行くようになった。給料15万円の中からお小遣いを3万円渡し毎日お弁当と水筒を持たせていたので煙草と漫画を購入し他に娯楽が無かった為余った範囲で遊んでいた。男は運が良く同棲していた時から負けている姿を見たことが無かった。娘の3ヶ月検診の時、産後の経過を見ようと内診を受けると妊娠していた。避妊はしていたがコンドームだけで100%の避妊は出来ない。先生は大いに喜んでくれ私も出産の壮絶な痛みを忘れ産む事に即決だった。たが男の顔は少し曇っていた。何年か歳が離れた方が良いと話す男に先生は女1人で勝手に妊娠すると思ってるのか?種が無いと妊娠出来ないのを知らないのか?と叱責され男は仕方なくといった様子で出産を承諾した。男の言葉に男への信頼が揺らいだ。男の祖父母は2人目の妊娠を喜んでくれ男にしっかり働くよう叱咤激励した。年子の妊娠は大変だった。徐々に大きくなるお腹を抱え娘を抱っこしながらの生活。寝返りが打てるようになると抱っこ中に突然上半身を大きく揺らし落ちそうになったり、ハイハイが出来るようになると抱っこされるのを嫌がり足をばたつかせお腹を蹴る。娘の視界から私が消えると泣く。その泣き声が続くと私まで泣きたい気持ちになったが娘が起きている間の家事やトイレ時はほとんどを抱っこで過ごし娘はご機嫌たった。近所の散歩以外は家の中で過ごす事が多かった。毎日抱っこをせがまれ疲れ果て娘を床へ投げ落とした事があった。親が世話をしないと何も出来ない無力な子どもに手を出した自分に腹が立ち申し訳ない気持ちと不甲斐ない気持ちが入り混じり嗚咽しながら泣いた。大泣きする娘を力一杯抱きしめ一生懸命に謝罪した。
祖母から久し振りに電話があった。次の出産は誰も手伝いに行けないから里帰り出産して欲しいとの提案だった。男も出産時、自宅で娘の面倒を1人で見れないからと快諾した。久し振りに顔を見る祖母はひ孫に歓迎を示したが私と男には厳しかった。男は初対面だった事もあり挨拶と今回世話になる礼を伝えると祖母は安心した様子でひ孫に不憫な思いをさせないよう男と私に話した。男が帰宅し出産までの間祖母とお互いのこれまでを話した。女の相変わらずな生活に肩を落としていたが私の新しい生活を叱咤激励した。娘がつたい歩きを始めるようになると祖母が娘の手を引いてトイレへ連れて行きオムツを脱がせ便座に乗せ下腹部を軽く押しシーと声を掛け少し待ってトイレットペーパーで拭き水を流すトイレごっこをさせ始めた。娘は新しい遊びが増えたと思った様子で祖母と私がトイレへ向かうと用を足している間にトイレ前に現れオムツを脱ぐ様子を見せ始めるようになりその度にいつもの手順で過ごしていた。歩き方がしっかりしはじめるとこちらがトイレに入るのを見るやいなや私が先だ!と言わんばかりに便器前を占領しオムツを脱がして!とアピール。いつもの手順で過ごしているとおしっこの出る音がした。娘は満足そうな顔でトイレットペーパーをせがむので手渡すと不器用ながらも自分で済ませたので私が水を流そうとすると私の手を押しのけ自分で流した。一連の出来事に呆気にとられたが便器に座る娘に「すごいね!一人で出来たね!」と声を掛けハイタッチすると嬉しそうに満面の笑みだった。その日からおしっこはトイレでするようになりそのうちオムツを嫌がるようになり防水加工のトレーニングパンツを穿いて過ごすうちにウンチがお尻に付く感覚が嫌だと感じたようで3回程の失敗で後はトイレで出来るようになった。子どもの成長は早いと感じる瞬間だった。