新しい家族  12歳~

中学校へ入学し日々の生活で高校受験を意識させられた。事あるごとに先生が「ここは受験でよく出る問題だから赤ペンで線を引く。」と、1日5回以上は耳にした。足し算を指折り計算していた私は分数の時点で挫折していたので関数だの方程式だの理解不能だったが空間処理能力はあったようで図形などの問題は難なく答えられた。それでも毎回のテストで30点以上は取れなかった。吹奏楽部に入部し「コンクールで良い成績を収めると推薦を貰えるから頑張れ」という指導者に音楽を楽しむ気持ちが無くなった。ただただ受験というゴールの為の生活になった。初めての期末テストは散々たる結果で落ち込む頃、家で女とテレビを見ていると

幸せそうな家族のCMを見て私はボソっと「家族って良いな~」と何も考えず呟いた。数週間後女から食事に誘われた。当たり前のように割烹に入って行く女をよそに、見るからに料金の高そうな店なのにお金は大丈夫なのか?と、あたふたして外で立ち往生していると店の女将さんが出て来て一番奥の個室へ通された。女将さんが声をかけ襖を開けると女はすでに席に着いており床の間の前に細身だが体格の良い見るからに筋肉質で袖から伸びる腕は日に焼けて黒くボサボサ頭の容姿に瓶底眼鏡だがノリが軽く女と歳も変わらないような男があぐらをかいて座っていた。初めて会う男に挨拶し女に促され席に着くと話す間もなく次から次へと料理が運ばれてきた。小さなお膳に黄金比の間隔で並べられた数種類の小鉢の中には品よく少しずつ前菜が添えてあった。空腹を満たす為なら何でも良いという概念から「一つ一つの食材」に芸術的な美の感覚を味わったのは初めてだった。料理に対して皿の余白が多く料理との色調が整った綺麗な皿を見て皿の為の料理なのか料理の為の皿なのか頭が混乱しながらも初めて見る食材は生きるための食事では無く楽しむ為の食事を経験した。見た目以上の美味しさで箸も止まらず男の事も忘れて一心不乱に味わった。

女将さんが食後のお茶を運ぶ頃になってようやく男が話し始めた。家を出て行った前妻との間に出来たまだ小さい兄弟2人を男手一つで育てていて良かったらその子達と兄弟になって欲しい。という男の横で女は嬉しそうに男の顔を見つめていた。二人の様子を見て初めて会った私の為にでは無く昨日今日の関係ではない女の為だと容易に想像出来たが唯一気がかりな妹を引き取ってくれるならと嘆願し承諾した。何度か小さな子ども達も交えて食事会が行われ女に言われるまま付いて行ったが妹が招かれる事は無く女に訴えても「タイミングがあるから」と、あしらわれた。夏休みに入る頃 少し増えた荷物を軽トラックに乗せ男の暮らす家へ運んだ。綺麗な平屋でガレージには高級外車が止まっていた。その日のうちに3度目の父親が出来た。校区外だったが転校は無く自転車での登校を許可され通学する事になった。男は周辺地域の地主で不動産を持ち少し離れた山で牛を育てていた。男の両親は既に他界していたが兄弟は健在だった。男も含め皆大卒で役職付きや自営で各々親から相続された土地と財産を管理し悠々自適な暮らしぶりだった。

私が男と女に連れられ各家庭を挨拶に回った際中学生の私に名刺を渡して年収や所有物についての自慢話に花を咲かせる人が居た。私にとって別世界の話しにいちいち驚き「どうすればこういう生活が送れるのか?」等と質問攻めにした事が気に入った様子で聞いてもない武勇伝まで楽しそうに話してくれ帰りに少しだけどと一万円札を握らせてくれた。男と女は恐縮しながらも一緒に礼を言い帰宅した。小さい兄弟は初対面こそ人見知りをしたがその日のうちに打ち解け私の腕の中に全力で飛び込んでくるようになった。私は部活を辞め子ども達が保育園から帰って来ると一緒に遊んだ。男は午前中は牛の世話に行き昼前には帰宅しのんびりとした生活。女は専業主婦で家事と育児に追われていて私の事に興味を示す事は無かった。妹はいつ迎えに行くのかと尋ねてもこちらを見向きもしない。

夏休み初日 男から通知表を見せるよう言われた。受験対策の5教科以外の成績はまあまあ良かったが本命の5教科は散々たる結果だった。翌日から塾に行く事を決められた。夏休みがまだまだ残っていて遊びたい気持ちもあったがこの家に暮らすようになって風呂も寝室も小さい兄弟と一緒だったが食事とお金の心配をせず申し分ない生活をさせてもらっていた男に感謝していたので仰せの通りに従った。学校が終わるとそのまま自転車で塾へ向かい22時過ぎまで勉強した。帰宅すると皆寝静まり 起こさないようにと静かに風呂を済ませた。やれば出来た。授業中の小さなテストも今までに取った事のない点数を叩き出し先生からカンニングを疑われる程で勉強が楽しくなった。

冬休みになりこの家に暮らし始めてから妹に会えていなかった私は男に妹をいつ迎えに行くのか聞いてみた。男からの返事は意外なものだった。「俺の子じゃないから一緒には暮らせない。」と…女は前々から知っていたようでショックを受ける私を見て睨みをきかせた。

私の中の何かが壊れた。

その日から塾には行かず月謝を使い込み親友宅で過ごす事が多くなった。親友と母親は何か困った事は無いかと顔を合わす度に心配してくれたが話せなかった。学校が始まると男と女の顔を見ないで済むよう早い時間から家を出て学校へは行かず繁華街へ向かい塾の終わる頃まで時間を潰した。いつものように夜遅く帰宅すると珍しく玄関と部屋の電気が点いていた。玄関を開け居間に入ると男と女が起きて待っていた。私が座る間も無く「学校と塾をなぜ勝手に休んだ?月謝はどうした?」と聞かれ素直に「学校も塾も行きたくない。金は使った。」と悪びれる事も無く無表情でただ淡々と言う私に男は何か怒鳴っていたが聞こえなかった。耳にシャッターが付いたかのように無音になり目の前にいる男が怒った表情で口をパクパクさせ女も眉間にしわを寄せ睨んでいる。その姿を見ても何の感情も沸かなかった。翌日学校へ行くと先生や友達が心配してくれたが何も頭に入らなかった。成績は元より悪くなり男と女と小さい兄弟との時間を億劫に感じるようになり家に帰るとさっさと風呂を済ませ部屋に引きこもったまま夕飯も取らない日が続いた。

小さい兄弟の上の子が幼稚園へ入園した。男と小さい兄弟が家に居ない時間 女は男の家を出た。その日の朝私よりも先に起きて居間に座っていた女に1枚の小さな紙きれを渡された。見てみると以前住んでいたアパート近くの住所が書かれその下に「新しい家です帰宅はここに」とあった。私は何も言わず学校へ向かった。女は少し前から男に黙って市営住宅の申し込みをしていて少しづつ荷物を運び出していた。学校帰り紙に書かれた住所を訪ねると団地よりも大きく成長した銀杏の木が何本もある終戦後に建てられたという団地で4階の部屋だった。玄関を開けたまま女が荷ほどきをしていた。黙って部屋へ入り自分の荷物を片付けた。6帖と4.5帖の和室に2帖程の台所。風呂は無く照明以外の家電も無かった。部屋の窓から葉が青々と茂った銀杏の木が見えた。女は片付けながら独り言のように話し始めた。

家族って良いな~と言ったから作ってあげたのに。妹にはお父さんが居るんだから私には関係ない。あんたのせいでこうなったんだ。

何を言われても心は動かず聞き流していている時に気が付いた。私が物心ついた時から女が口を開けば

誰かのせい何かのせい

にしているのだ。自分の非常識な言葉や行動で迷惑をかけてもその尻拭いをしない「だって~」「でも~」と自分を正当化し相手を批難する。自分の行動に対する「自責の念」というものがこの女には無かった。その天罰か2週間後3度目の父の子を堕胎していた。

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